熊谷市の由来と歴史

熊谷市の熊谷直実(なおざね)とは、熊谷市の地名の由来となっています。

この熊谷直実は熊谷駅北口に勇ましい姿の銅像が立っています。
源平合戦で源義経に従い、
「一の谷の戦い」(1184年)にて
「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」で
平氏の後ろから崖を馬もろとも駆け下り、大勝利をおさめました。

熊谷直実は当時日本第一の強者で、
弓の名手でもありました。

この先陣は熊谷直実。熊谷直家父子ら5騎が突入して、戦ははじまりました。

熊谷直実がその時、呼び止め一騎打ちを挑んだ若者とは

「私は熊谷出身の熊谷次郎直実だ」と名乗り
相手の名を聞くと答えない、「首実験で判ること」
と答えられやむなくうちとりました。

熊谷直実が打ち取った首は、平敦盛(たいらのあつもり)でした。

平敦盛は平清盛の甥でその時17歳でした。笛の名手でもありました。

熊谷直実が出家につながることとなりました。

源頼朝との確執もあり、法然(ほうねん)に弟子入り法名は蓮生(れんせい)となりました。
法然生誕地に誕生寺や、熊谷山蓮生寺(藤枝市本町1-3-31)、
熊谷市には蓮生山(れんせいざん)熊谷寺
(ゆうこくじ)、高野山にも熊谷寺(くまがいじ)になど多くの寺を建立されました。

高野山熊谷寺に熊谷直実と平敦盛の墓所がならんであります。

高野山熊谷寺(和歌山県伊都郡高野町高野山501)に二人の墓所があり、
なんと素晴らしい事か、
高野山金剛峰寺に行かれた場合是非、
この熊谷寺に寄って頂けたらと思います。
熊谷寺は宿泊でき精進料理にてもてなしてくれます。

熊谷直実の出家から、敦盛(幸若舞)について。

織田信長がとくに好んだ詞章(敦盛)は
熊谷直実が出家のとき世をはかなむ節です。

「人間五十年、化天(下天)の内をくらぶれば夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」

織田信長は桶狭間の戦いの前に5人で平家の大軍に突っ込んだ熊谷直実を投影したはずです。

GREEN_kureka_TP_V

熊谷でカード現金化やお金のご用命はさいたまギフトにお任せ下さい。

カード現金化やお金のTOPページ

現金化の流れ

店舗案内

Follow me!

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

コメントを残す