【千葉市偉人】春日部重行(新田義貞の家来)

【千葉市偉人まとめ】春日部重行(新田義貞の家来)ご紹介

【千葉市偉人まとめ】春日部重行(新田義貞の家来)ご紹介

千葉県千葉市の偉人、春日部重行(かすかべしげゆき)をまとめてご紹介致します。春日部重行は弊社の所在地、埼玉県春日部市とも繋がりのある大変な偉人です。

春日部重行は歴史の教科書などで出てくる機会が中々ない人物ですが、鎌倉時代後半から南北朝時代に活躍をした武将です。新田義貞に仕えていました。

鎌倉時代後期、島流しにされた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の命により新田義貞は挙兵し鎌倉幕府、北条氏を倒します。鎌倉幕府、北条氏が滅亡後、武士ではなく天皇中心の政治が始まりました。建武の新政(けんむのしんせい)という出来事です。

そこで活躍をしていたのが新田義貞の家来である春日部重行です。鎌倉幕府を倒すために新田軍として出陣、鎌倉、箱根、京都、島根、九州など日本各地を移動し、幕府軍と戦いました。

春日部重行は「鎌倉の戦い」という戦で大変な活躍をし、後醍醐天皇より武蔵国春日部郷(現在の埼玉県春日部市)と上総国山辺郷(現在の千葉市緑区)の一部の地頭(じとう)に任命されます。

地頭とは土地の管理、租税の徴収、守護などの仕事を任される役職です。現代で例えると市役所、法務局、税務署、警察署などの公務員に近いような仕事だと思います。

日本地図を見てみると埼玉県春日部市から千葉県千葉市緑区までの距離は約75km。車で約2時間くらいの距離です。そのような飛び地の守護、管理を任されていたのが春日部重行なのです。

春日部重行は鎌倉市鶴岡八幡宮を勧請(かんじょう)をしていたといわれています。勧請とは神仏を分霊する事をいい、神霊を分けたもの(分身)を他の土地に移してまわることをいいます。

その後、武士中心の政治が出来なくなった事に不満を抱いた足利尊氏が裏切ります。新田義貞と足利尊氏が衝突、春日部重行は足利尊氏の軍と戦います。残念な事に春日部重行は敗戦し、自刃します。

延元の乱(えんげんのらん)とよばれ、戦況が不利だった新田義貞に楠木正成(くすのきまさしげ)が参戦、戦況は五分五分になりました。

一度、怯んだ足利尊氏でしたが湊川の戦い(みなとがわのたたかい)にて楠木正成を討ち、その後に室町幕府を開設。藤島の戦いにて新田義貞を討伐、足利尊氏が勝利します。

こうして南北朝時代が始まります。光明天皇(こうみょうてんのう)を足利尊氏が京都で即位させ、奈良の吉野に逃れた後醍醐天皇は自ら朝廷を作りました。一つの時代に天皇が二人存在するという事態になりました。

千葉県千葉市にゆかりのある春日部重行から話が長くなってしまいましたが、最後までご覧頂きありがとうございました。新田義貞の家来で、地頭を任されていたと覚えて頂ければと思います。

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