【長野市偉人】小林一茶(こばやしいっさ)

【長野市偉人まとめ】小林一茶(こばやしいっさ)ご紹介

【長野市偉人まとめ】小林一茶(こばやしいっさ)ご紹介

長野県長野市の偉人、小林一茶をまとめてご紹介致します。江戸三大俳人の一人といわれ、松尾芭蕉(まつおばしょう)、与謝蕪村(よさぶそん)と並ぶ実力の持ち主です。一茶とは俳号で、本名は弥太郎というそうです。

俳句という言葉を聞くと難しそうなイメージがありませんか?それを変えたのが小林一茶です。一茶調と呼ばれる独特な俳句の技法で、俳句の親しみやすさを全国に広めました。

小林一茶は現在の長野市で生まれました。小林一茶の母が亡くなると父が再婚。小林一茶は父の再婚相手と仲が悪く、15歳になると江戸に一人で暮らすようになりました。葛飾派という俳諧(はいかい)のグループと出会います。

俳諧とは連歌に似ていますが大きな違いがあります。連歌は美しい季語などを入れて五七五に続き、他の人が七七などと歌を続けます。ですが、俳諧は美しい言葉などではなく、面白おかしく、滑稽な歌を並べるそうです。

葛飾派という俳諧のグループは松尾芭蕉の友人、山口素堂(やまぐちそどう)という人が作りました。小林一茶は葛飾派に所属し、めきめきと実力を付け、旅に出ることになりました。

当時、俳諧師は師匠の許しがないと旅に出る事を許されませんでした。師匠から全国各地の俳人に紹介状を渡し、各地を訪ねて回るという習慣があったためです。出会った俳人に自分の句を披露し、認められれば客人として迎えられるという世界でした。

相手に句を認められなければ宿無しという厳しい世界で修業を重ね、多くの俳人と出会い、有名な作品を数多く残しました。小林一茶に興味のある方は是非、本やインターネットなどでお読みになられてはいかがでしょうか?

ここで、長野市に関係深い一句
「春風や 牛に引かれて 善光寺」

布をひっかけた牛を追ったら善光寺にたどり着き、それが観音様のお導きだったというお話です。善光寺参りといわれています。ちなみに、小諸市から長野市まで車で1時間半くらいかかります。その距離を走ったお婆さんは凄いですね!

春風や牛に引かれて善光寺

【長野市観光まとめ】善光寺をご紹介

【長野市観光】善光寺をご紹介

全国各地から参拝者が集まる善光寺は女性の天皇である、皇極天皇(こうぎょくてんのう)が建てたといわれています。皇極天皇は奈良時代の前、飛鳥時代に活躍をした35代目の天皇です。

歴史の教科書を辿ると、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、中臣鎌足(なかとみのかまたり)らが蘇我氏を倒した乙巳の変(いっしのへん)、政治改革を行った大化の改新あたりです。

皇極天皇の代表的な活躍は雨乞い。伝染病や飢饉などで苦しむ民を救いました。その後、天皇の地位を譲りますが、斉明天皇(さいめいてんのう)として再び即位します。

ちなみに、善光寺は日本最古、日本を代表する霊場といわれています。善光寺が皇極天皇によって建てられてから十数回も火災が起きているそうです。昔から全国各地から修繕に人が集まり、立て直しを繰り返されてきました。

善光寺は国宝に指定、木造文化財では東日本最大級といわれています。どの宗派にも属さないという珍しいお寺です。

観光などで善行寺にお越しの際は、真っ暗な回廊を巡る、お戒壇巡り(かいだんめぐり)をされてはいかがでしょうか?光が一切入る事がないお戒壇巡りで極楽の錠前という物に触れることが出来れば、往生の際に仏様が迎えに来て下さるそうです。

七年に一度の御開帳をご存知でしょうか?御宝庫に保管されている非公開の回向柱を七年に一度、特別に拝む事が出来ます。牛に引かれて大名行列などと並び松代町を練り歩き、ぐるっと回って善光寺にやってきます。

回向柱を拝んだり、牛の綱に触れると如来様と縁が結ばれ、現世のご利益、来世の極楽浄土が約束されるそうです。長野市へ観光、出張などでお越しの際は善光寺にお越し下さい。

長野市善行寺アクセス
長野県長野市元善町491

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